小さくても「新たな発見」が生きる希望を見出し、人として生まれた尊さを気づかせてくれる

 人は誰しも、苦悩を経験しながら、その苦悩をやっとのことで乗り越えながら日々生活しています。それは、親鸞聖人の生きた時代であろうとも、科学技術が発展し、便利で快適な生活を送れるようになった現代でも、共通する人間の生き様です。

 そのことは、人は、いつの時代も、今の置かれている状況をどう受け止め、どう向き合うのか?その姿勢が常に問われているということだと思います。

 新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされている昨今の状況で言えば、この非常の時だからこそ、一人ひとりが何を大切にして生きるのかが、特に大きく問われているのだと思います。

 感染しないように用心することも大切なことです。しかし、そればかりに心を奪われずに、周りを見渡し、何気ない事柄の中から、「新たな発見」を見出す事も、苦悩を抱えながらしか生きられない私たちの生活においては、とても大切なのではないかと思います。

 なぜなら、「新たな発見」が新たな生きる希望を見出し、人として生まれた尊さを気づかせてくれるからです。

 四季の移り変わりの中で、新緑の息吹やきれいな花を見て感動したり、心があらわれるのは人間だけだそうです。

 そのような感動を見つけ、目で見て、肌で感じ、それを声にするだけでも、私たちの心は和みます。

 置かれた状況の中において、小さくても「新たな発見」を見つけていくことが、人が本当の人間性を保っていく歩みなのではないでしょうか?

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~