「仏教」とは、私達を人間らしい生活へと導いてくれる教え

 一般的に「知恵」というと、私達に様々な恩恵をもたらしてくれる、良いものというイメージがあります。

 例えば、「自動車」は、移動手段として、速くて楽に目的地へ到着するという便利で快適な生活をもたらしてくれます。これは、過去に多くの科学者・技術者が、知恵を絞り、研究を重ねた結果、生み出された画期的な道具です。

 しかし、親鸞聖人は、この「知恵」について、


『如来誓願の薬は よく智愚の毒を 滅するなり』(『教行信証』信巻)


と語り、「知恵」という言葉を「智愚の毒/チグノドク」と表現して、”愚か“という言葉を付け足し、また、時には、毒であるとまで表現されました。

 これは、多くの恩恵をもたらしてくれる知恵であっても、その知恵を過信することによって、逆に”毒“にもなりうるということを教えてくれていると思います。

 私達人間は、知恵を求め、慣れ親しむあまり、いつの間にか大きな思い違いをしてしまうことがあります。知恵を求めるあまり、損得の物差しで他人を測り、判断することによって、目に見えない様々なつながりを絶ち、結果として、自分と世間との関係を悪くしてしまうということもあります。

 親鸞聖人が自身の名前を「愚禿(グトク)釋(シャク)親鸞(シンラン)」と名告り、「愚かな禿(ハゲ)」と表現されたのは、いくら自身の過信を肝に銘じ、治そうと心がけても、克服出来ない人間としての本性(愚かさ)を見抜いたからなのでしょう。

 だからこそ、お念仏の教えに出会い、仏法を聞き、自分自身の生活を見つめ直す時間を持つことが、「知恵」を「毒」にすることなく生活する最善の方法(薬)なのだと語られているのだと思います。

 親鸞聖人のお言葉から、仏教とは、生活を見つめ直し、今を生きる私達を人間らしく生きる生活へと導いてくれる教えだということが教えられます。

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~