2018.12.02 07:20「自然」という言葉に込められた、仏法を聞くことの魅力 「自然」という言葉を聞くと、「自然災害」という単語があるように、山川草木や雨・風など私達を取り巻く環境をイメージする方も多いと思います。ただ、言葉の由来を調べてみますと、「自然」という言葉について、このような意味でとらえられるようになったのは、明治以降、欧米の文化が日本へ伝わり、西洋語の「ネイチャー」の翻訳語として「自然」が用いられるようになってからのことだそうです。 当然、約八百年前を生きた親鸞聖人の時代には、「自然」とは、今でも「自然の成り行き」と使うように、「そのまま」又は「ありのまま」という意味の使われ方が一般的だったそうです。 親鸞聖人の残されたお言葉に次のようなものがあります。『自然というは もとより しからしむるという 言葉なり』 このお言葉は、この「自然(ありのまま)」を私達に自覚させんと導くのが、阿弥陀仏のはたらきであると親鸞聖人が語る法語です。 今年一年を振り返ってみても、私達の生き様は、常に優劣や損得・善悪の区別をつけ、様々な出来事に対して、自分なりの判断をしながら過ごす日々を送ってきたのではないでしょうか? 仏教では、私達人間の生き様を、「凡夫/ボンブ」と表現され、煩悩(欲望)を持った存在として考えます。お腹が空けば、食べ物が欲しくなる。夜になれば眠くなる。様々な欲望を持っているがゆえに、自分の都合の良いように判断をし、偏った見方をして、なかなか真実(本当のこと)をとらえられない存在としてとらえます。 そんな私達に、阿弥陀仏のはたらき(仏教の教え)は、ありのままの真実(本当のこと)を教えてくれると親鸞聖人はお示しくださっているのだと思います。 思うに、年末の風物詩として、「除夜の鐘」があります。一般的には、108の煩悩を滅するために鐘を突くと理解されていますが、人間、生きている限り、煩悩が無くなることはありません。ゆえに、煩悩の数にこだわらず、それぞれの一年を振り返り、自らの生き方を見つめながら鐘を突く仏事が「除夜の鐘」だと思います。皆福寺創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~フォロー2018.12.30 17:15「仏教」とは、私達を人間らしい生活へと導いてくれる教え2018.11.20 14:10「皆福寺」庫裡の裏山で治山工事進行中!0コメント1000 / 1000投稿
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