「仏法を聞く」とは、どういうことか?

 日本には多くのお寺があり、その本堂を外から見れば屋根が高く、似たような形をしていますが、一歩中に入ってみると、宗派によって、内部の形状は様々です。

 真宗(浄土真宗)のお寺の本堂の特徴の一つは、大間(ダイマ/参拝する方が座る場所)が広く、多くの方が一堂に集まれる形態になっていることです。これは、「教えを聞く」ということが、お参りすることの基本になっているからだと言われています。

 この真宗における基本である「聞く」ということについて、


『きくというは 信心をあらわす 御(み)のりなり』

【試訳】「きく(聞く)」ということは、自分自身のありのままの姿に気づく(信心)ということが、その実り(利益)である。


という言葉を親鸞聖人が残されています。

 あらためて考えてみると、私達は、どこまでしっかりと、他人の話を聞くことができているでしょうか?例えば、講演会や説明会に出席した際に、質疑応答や感想を語る時間において、他の方の意見を聞いていると、自分とはまったく違うポイントに着目した発言を聞く場合が多々あります。

 私達は、他人の話を忠実に聞いているようでも、そこには、自分なりの判断が加わります。ゆえに、同じ話を聞いていても、どうしても人それぞれの解釈の違いが生じます。そう考えると、私達の何気ない行為である「聞く」ということも、どこまでちゃんと聞けているのか、あやしいものです。

 そんな私達に対して親鸞聖人は、聞くとは、「信心をあらわす」と語り、自分自身のありのままの姿に気づくこと」であると語られます。

 この言葉の根底には、人間の姿を煩悩があるがゆえに、様々な物事に対し、偏った(かたよった)見方をしてしまう存在だと考える仏教の人間観があります。

 「聞く」という行為も、煩悩があるがゆえに私達は、自分の都合で判断して善し悪しをつけてしまいます。そんな私達に仏法の教えは、ありのままの姿を教えてくれます。そして、そのことを受け取るということが本当の「聞く」ということだと親鸞聖人は教えてくれているのだと思います。

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~