2024.07.30 10:15争い・戦争の原因は、実は、人間のソトではなく、内側にある 八月は、お盆の時期でもありますが、それと同時に、”平和“がクローズアップされる時でもあります。その理由は明白で、日本では八月に原爆の日があり、また終戦記念日を迎えるからです。今年で、七十九回目の終戦記念日を迎え、また、多くの人が”不戦の誓い“を新たにするのですが、残念なことに、今なお戦争がなくなり、全世界が平和になる気配はまったくありません。 おそらく、世界中のどこの国に行っても、平和で安らぎのある世界を理想とすることに異議をとなえる人はいないでしょう。そんな人類共通の願いを持っているにも関わらず、世の中から戦争はなくなりません。平和を旗印に戦争が行われる。安心・安全を守るために新たな武器が開発され、軍備が増強されているのです。 「ナゼ、戦争がなくならないのか?」 その本質を、次の言葉は、核心をついて教えてくれています。『私たちの人生の争いはいつも 善と善との争いだ』(宮城 顗)この言葉で言う「善」とは、「善行」とか「善人」などの表現と同じように「道徳的に正しく、きれいな行い」を意味します。しかし、「善」であると思い込むということは、時として、相手を傷つけます。しかも、正しいと思うがゆえに容赦なく切りつけることがあります。その心が戦争や争いがなくならない根本的な原因なんだろうと思います。争いの原因は、人間のソトにあるのではなく、実は、誰もが心の内側に持っている「善でありたい」という根性にあるのです。 そう考えると、私は、終戦記念日によく聞かれる「平和を祈り・願う」という姿勢ではなく、「参る」という姿勢にこそ、平和な世の中を実現するためのヒントがあるように思います。戦争や争いの本質的な原因が人間の「善でありたい」という根性にある以上、「祈り」や「願う」姿勢では、自分自身が問われることがありません。 一方、「参る」という姿勢は、一見すると「祈り」や「願う」姿勢と同じように思いますが、その中身は、亡き人を偲びつつ、ご自身の価値観・考え方・物事の見方を問い直すという意味があると思います。自分自身のココロを見つめ直す「参る」という姿勢こそが、平和な世の中を実現していく小さな一歩なのではないでしょうか?皆福寺創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~フォロー2024.08.20 12:19皆福寺近くの道路「通行止め」 のご案内2024.06.29 08:00令和6年度「皆福寺年間法座予定」について0コメント1000 / 1000投稿
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