「おまいりする」という言葉に込められた大切な意味

 お寺の本堂やお仏壇の前に座り、仏様へ合掌する(手をあわせる)ことを、一般的に、「おまいりする」と言います。何気なく使っている言葉ですが、この表現には、大切な意味が込められていると思います。

 「おまいりする」という言葉を漢字で書くと「お参りする」となります。この「参」という文字は、「参加する」という言葉が表すように、“加わる”とか“交わる”という意味がありますが、もう一つ、時代劇の決闘の場面でよく使われるフレーズで「どうだ、参ったか!」と言うように、“降参する”という意味もあります。

 実は、合掌するという行為には、この“降参する”という意味が含まれていると思います。何に対して降参するかと言えば、“阿弥陀様”に対して降参するのです。

 仏教では、私たち人間は誰しも煩悩(ボンノウ)という「自分の思い通りにしたい」という心を持っていると考えます。そして、この煩悩を持つがゆえに、偏った(かたよった)見方を本当のことと思ってしまうのが私たちの姿だととらえます。

 つまり、私たちが、合掌するという行為には、一人ひとりが「思い通りにしたい」という心に気づき、“阿弥陀様(本当のこと/真実)”に対して、目覚め、降参していくという意味が込められていると思います。

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~