夏に考えたい お経にある「セミ」のお話

蟪蛄 春秋を識らず 伊虫 あに朱陽の節を知らんや

【読み方】けいこ しゅんじゅうををしらず  いちゅう あに しゅようのせつをしらんや


※蟪蛄・・・セミのこと。

※伊虫・・・「この虫」という意味で、この文ではセミのこと。

【意訳】セミは、夏に地中からこの世に出て、夏の間に死んでしまうため、春や  

     秋を知らないばかりか、実は夏も知らないのだ。


 私たちは、セミは夏の生き物だから、夏のことは詳しいと考えます。しかし、セミは7年間、地中で生活します。そして、夏になって地上に出てきて、一週間で死ぬと言われています。ですから、セミは春や秋のことを知りませんし、実は、今が夏であるということも知らないのです。春と秋が分からなかったら、相対的な比較対象がありませんから、今が夏であるのかも分からないのです。

 この言葉は、人間は、自分のことは、自分が一番分かっているつもりであっても、実は、よく分からないということを表した法語です。セミは、暑い夏にいながら今が夏であることが分からないように、私たちも自分を見る鏡がなかったら、実は自分ということが分からない存在なのです。

 自分が分からないままに生まれて、分からないままに死んでしまうことを仏教では、生死流転(ショウジルテン)と表現されています。

一方で、お経とは、

 『経(きょう)教(きょう)はこれを譬(たとう)うるに鏡の如(ごと)し』

と表現されるように、お経や仏教の教えとは、自分自身を見つめるための鏡のようなものです。仏教が生まれ、約2500年の歴史とは、常に「自分とは何か」ということを問い続けてきた歴史でもあります。その先輩方の問い続けてきた智慧がお経には凝縮されています。

 セミの鳴き声が聞こえてくる、暑い夏を迎えるにあたって、お経にふれ、自分の生き方を振り返ってみてはいかがでしょうか?

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~