私たちは、それぞれ、今までの生活の中で得てきた知識と経験、そして身の回りにある様々な情報によって、自分の価値観(世界観)を作って生活をしています。そして、「自分価値観」を中心にするあまり、他の価値観(世界観)を、なかなか受け入れることができないということがあります。
一方、長い人生の中には、身の回りに起こった不幸やアクシデントが続くと、「自分の何が間違っていたのだろうか?」と感じ、漠然とした不安や孤独にかられることがあります。
そんな私たちに親鸞聖人は、自らの知識や経験をよりどころとして物事の方向性を判断するなかにおいては、お浄土の世界は、理解しがたいと語られます。
現代は、機械化が進み、昔に比べて他人に頼らずとも、生きていける世の中になりました。一方で、スマートホン(携帯電話)の世界では、ラインやフェイスブックと言った、人と人とのつながりを求めるアイテムが若者を中心に流行しています。
いつの時代でも、人は誰しも、心の通ったつながりを求め生きています。親鸞聖人が「真実の報土」として語られる、お浄土の世界とは、どのような者でもお互いが認め合い、一人ひとりが生き生きと生活する世界です。このお浄土の世界に生きたいとする願いを、親鸞聖人は、人間の根源的な欲求として受け取られました。
この「お浄土」の願いに目覚めるためには、自らの考えをよりどころせず、常に身の回りのいろいろな声に、真摯に耳を傾ける姿勢が大切なのだと思います。そして、その姿勢を聞法(モンポウ)と言うのだと思います。
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