お説教でよく聞く「本願」って何?

 

 よく、浄土真宗のお寺へお参りに行き、お説教を聞くと「本願(ホンガン)」という言葉を聞くことがあると思います。この「本願」という言葉は、悟りを得て仏になろうとする者が、一切衆生(多くの生きとし生ける者)を救うために誓う願いを「本願」と言います。この本願は、あらゆる仏・菩薩にありますが、特に、阿弥陀の四十八願は、よく知られています。

 阿弥陀仏の本願については、『大無量壽経』というお経に詳しく説かれておりますが、その内容は、生きとし生けるものに、「すべてのもののいのちが、あらゆる限定を超えて、共に、同じ一つのいのちであることに目覚めてほしい」という願いです。

 よくよく考えてみると、私たちは、何よりも我が身が一番かわいいという、自分中心の心を、どうしても離れることができない身を生きています。その結果、一緒に生活していても、なかなか他者と心が通じ合うことができず、時には孤独を感じ、不安を抱えながら生活しています。

 そんな私たちに、いのちの真実に目覚めさせようと、誓われたのが阿弥陀仏の本願です。私たちが、阿弥陀仏の本願に出遇い、その意味に目覚める時、さまざまな違いを超えて、心の通じ合う、空しく過ぎることのない日々の生活を取り戻すことができるのだと思います。


『かの如来の 本願力を観ずるに

 凡愚遇うて 空しく過ぐるものなし』


皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~