❀お念仏とは何か? それは、気にかけてくださる仏さまからの呼びかけである

 普段から口にする「南無阿弥陀仏」という言葉にはどんな意味が込められているのでしょうか?私たち日本人は、普段、意味の分からないと言葉に出会うと、その文字(漢字)から意味を探るということをよくします。ただ、「南無阿弥陀仏」という言葉は、その漢字からその意味を見いだそうとしても、明確な意味は見いだせません。ですから、今まであまり仏法にご縁の無かった方などが、「南無阿弥陀仏」という言葉について大きな疑問を持つことは、当然のことかもしれません。
 実は、「南無阿弥陀仏」という言葉は、インドの古い言葉で、「ナマス」という言葉とか「アミターバ」という言葉を音写(オンシャ/意味に関係なく、言葉の響きだけを文字に当てはめること)した言葉で、漢字自体にはまったく意味のない言葉です。ですから、文字のから意味を探ろうとしても、その言葉の本来の意味は分からないのです。
 では、私たちの宗祖である親鸞聖人は、この「南無阿弥陀仏」という言葉をどのように受け止められたのでしょうか?その受け止めを上手に解説してくださっているのが以下の言葉だと思います。


「南無阿弥陀仏とは 言葉となった 仏なのです」(安冨  信哉)


 「南無阿弥陀仏」というお念仏とは、私たちの口から発せられますので、私たちが行う行為であると受け止めますが、その行為を親鸞聖人は、あえて、「私の口を通じて「南無阿弥陀仏」という言葉となって出現された仏さま」と受け止められました。
 言い換えれば、南無阿弥陀仏という言葉は、私の口から発せられますが、その本質は、「仏さまから私たちへの呼びかけである」という受け止めです。私たちがお念仏を申す時、それは、自分中心にしか物事を考えられない私たちに、仏さまが「人間らしい生活をしているか?」と問い訪ねてくださっている時という意味です。
 そして、仏さまからの問いかけに対して、感じたこと、気づいたことに対する「有り難う」という気持ちと、今まで気づかずにいたことに対する「ごめんなさい」という気持ちが、私自身の報謝(ホウシャ/恩に報い、感謝すること)の気持ちとなって、あらためて、自らの口から発せられるお念仏となる。それを「報謝の念仏」と言うのです。
 お念仏とは、決して、自分の欲望を満足させるための呪文ではないのです。


皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~