お念仏の教えは、煩悩を離れられない身のために示された道である

 よく、「お念仏の救いとは何ですか?」という趣旨の質問を受けることがあります。そんな時、あえて、「お念仏の教えは仏教ですので、救いを求めるのではなく、悟りを求めます」と答える場合があります。

 ”悟り“と聞くと、漠然としていて、はっきりしない言葉ですが、ある先生が、分かりやすく「頭と体が一致すること」と教えてくださいました。

 この表現で言う「頭」とは、自分の思いや願いを指します。また、「体」で表現されるものは「老・病・死」に代表される身(ミ)の事実を指します。つまり、”悟り“とは、自分の思いと、身の事実(老いる・病気になる・死を迎える)が一致することを言うのです。

 私達の生活を振り返ってみますと、老いることや病気にかかることをなるべく遠ざけたいと願って生きています。ゆえに、身の事実を自分の願いに近づけようとします。そして、その願いは、医療の発達や技術革新をもたらしました。

 一方、お念仏の教えは、身の事実を深く教えてくれます。私達の思い(願い)を破り、身の事実を深く自覚させて、”悟り“に導こうとするのです。私達に一人ひとりの身の事実を明らかにし、苦労の多い世の中を、生き抜いていける活力を与えてくれる、それがお念仏の目指す”悟り“(救い)なのです。


『悲しみあるがゆえに よろこびあり、煩悩あるがゆえに、菩提あり』

(伊藤 慧明)


   上記の法語は、先に述べた”悟り“をテーマにした言葉です。この言葉の最後に”菩提“とありますが、この言葉は仏教用語で”悟り“を意味する言葉です。私たち人間は、何事も自分の思いどおりにしようとする煩悩という心を持っています。この心を持っているがゆえに、現実を素直に受け止める事が出来ず、悩みや苦しみをかかえながら生活しています。

   そんな私たちにお念仏の教えは、”菩提(悟り)“に向かう道を示してくれます。この道は、まさに、煩悩を離れられない身のために示された道です。このことに気づけたよろこびと感動を言葉にしたのが、この法語であると思います。


皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~