❀仏教とは何を教えてくれるのか?

 最近、よく、仏教とは、何を教えてくれるのか?という質問を受けることがあります。以下の法語は、ある意味、その問いに答えた言葉でもあります。


仏智に照らされて 初めて 愚鈍の身と知らされる

【意訳】仏法(仏さまの教え)の智慧に私たちの生活の有り様を、照らし合わせてみることによって、初めて、愚かで、鈍感な我が身であったと知らされる。


 お寺で説教を聞いて、何を教えてくれるのか?ご紹介した法語で言うなれば愚かで鈍感な我が身であったと教えてくれるのが仏法であるということになります。

 あらためて考えてみると、私たちの普段の生活とは、生き物を殺し、そのいのちをいただいて生きています。また、生まれると親や周りの方にお世話になって育てられ、年老いてくると、自分の力だけでは何もできないようになっていく存在です。

 つまり、いろいろな方の犠牲やお助けがあって、私たちは生きているのです。
しかし、私たちは、常日頃、そのようなことをあまり意識せずに生活しているのではないでしょうか?仏法(仏さまの教え)とは、いろいろな方の犠牲やお助けがあって生きていることを教えてくれるのと同時に、そのことをいつの間にか忘れて生活していた我が身の愚かさと鈍感さを知らされるものなのです。

 親鸞聖人はこの仏法に照らされて “愚鈍の身”と知らされた自覚を「柔軟心(ニョウナンシン」「金剛の信心(コンゴウノシンジン)」と表現しています。

“愚鈍の身”と聞くと、ネガティブ(悲観的)なイメージを持つかもしれませんが、親鸞聖人は、この自覚を持つ者こそ、どんな物事が降りかかってきても、乗り越えていける柔軟かつ金剛の心を持って人生を歩んでいける者であると教えてくださっています。

なぜなら、仏法を聞くことは、自分の本当の姿を見つめることであり、そのことが地に足を付けて人生を全うできる道であるからなのです。


皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~