昭和の大ヒット曲『スーダラ節』に見る、私たちの本当の姿

 昭和三十七年のヒット曲『スーダラ節』に「わかっちゃいるけどやめられねぇ」という有名な歌詞があります。よくよく考えてみますと、私たちの生活は、まさにこの歌の歌詞のとおりであろうと思います。

 たとえば、学校で、地球の周りを太陽が回っているのでなく、太陽の周りを地球が回っていると習っても、実際に大地が動いている実感もなく、太陽が地球の周りを回っていると言われた方がなんだかスッキリする。研究が進み道理が発見されてもである。まさに”わかっちゃいるけど・・・・“である。

 同じように、お釈迦さまは、この世の中を「諸行無常」(あらゆる出来事は常に移り変わり、止まることはない)・「諸法無我」(すべての物事は、お互いに影響しあいながら成り立ち、単体で存在することはない)という道理を解かれた。説かれた内容の解説を聞くと納得いくが、私たちの実際の生活はどうか?知らず知らずのうちに現状の生活が、このまま順調に末長く続く未来をイメージしながら過ごしている。そのため、ひとたび、想定外の事が起こると、うろたえ、落胆し、不平・不満が口をつく。まさに頭で分かっていても、”やめられねぇ・・・・ “である。

 どうやら、私たち人間は、世の中の道理を素直に受け止めることが出来ない存在のようである。世の中の道理を素直に受け止めることが出来ないがゆえに、今日一日を無事に過ごせたことが、とても貴重であり、尊いことにも関わらず、いつしか”あたりまえ“になってしまう。そして、”あたりまえ“に思うがゆえに、いろいろな事に不足を感じ、不平・不満が口をつく。何とも厄介な存在である。

 そんな厄介な私たちに、お念仏の教えは、思い上がりを気づかせ、身の丈を教えてくださる。身の丈が分かると、自分の身の回りが見えてくる。いかに自分がまわりに支えられて今日まで生きてこれたのか!その「おかげ」に気づいていく。「おかげに気づく」と不平・不満でなく、感謝の気持ちが湧いてくる。どうせ生きるのならば、不平不満でなく、感謝の気持ちをもって生活したい。なぜなら、その方が、充実した人生を送れるのではないかと思うからである。


皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~