2022.01.31 13:15「不寛容」が指摘される今の社会だからこそ響く、仏法の言葉 今の世相を表す言葉として、最近”不寛容社会(フカンヨウシャカイ)“という言葉をよく耳にします。「不寛容」とは、「他人の言動を受け入れなかったり、必要以上に他人の欠点を責めること」を意味する言葉です。 少し前になりますが「除夜の鐘は近所迷惑である」とか「子どもの声がうるさいので、保育園の建設に反対する」などの意見がニュースで話題になりました。これらのニュースのように、今まで特に問題にならなかった事が、今の時代に受け入れられなくなったことを”不寛容社会“と言うそうです。 この言葉は、ただ単に今の時代の世相を表すだけでなく、現代社会に対する警鐘としても使われる表現であるそうです。それは、私たち一人ひとりが”不寛容“になっていくことが、失敗が許されない、他人に迷惑をかけられない、生きづらい社会を作り上げていくことにつながるからです。 我が身に引きあてて言えば、おそらく誰も今までの人生において、失敗した事がない、あるいは、他人に迷惑をかけた経験がないという人はいないでしょう。事の大小はあれども、誰もがしくじりや人の世話になるということを経験し、そしてその事に対し、周りからの許しがあって今があるのではないでしょうか?”不寛容社会“とは、先に示したような互いに許しあう世界、安心する事が出来ない世の中です。 そのような世の中にしないために何が必なのか?そのヒントがお念仏の教えの中に込められていると思います。それは、一人ひとりが、自分の生活を振り返ることを習慣とし、”いろいろな人に許され、世話になり、歩んでこれたのだ“と、その有難さに気づいていく、そんな日々を送ること。それが、世の中が”不寛容社会“でない、”寛容な社会“を作り上げていく一歩だと思います。皆福寺創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~フォロー2022.03.06 08:10仏教的な視点で考える「不要、不急なこと」とは?2022.01.07 10:39なぜ、昔から、各家庭にはお仏壇がそなわり、大切にされてきたのか?0コメント1000 / 1000投稿
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