なぜ、昔から、各家庭にはお仏壇がそなわり、大切にされてきたのか?

 よく、お正月に聞く”ことわざ“に、『一年の計は元旦にあり』という言葉があります。このことわざは、「新しく迎える年の目標や計画は、元旦に立てるべきである」あるいは、「ものごとを始めるにあたっては、計画を最初にしっかり定めておくべきである」という意味の言葉です。この”ことわざ“には前段があり、『一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり』とも言うそうです。

 この”ことわざ“を聞くと、我々の先輩は、昔から日々の生活において、”節目“というものを非常に大切にしてきたという事をうかがい知ることが出来ます。元日は一年のはじまり。朝は一日のはじまり。その「はじまり」を生活の原点として、自分がすべき事や目指すべき方向性を見定め、確認する機会(節目)として、大切にしつつ生活を送ってきた歴史を感じます。

 この”ことわざ“に込められている内容と同様の精神が、各家庭にあるお内仏(お仏壇)にも込められていると思います。一説には、お仏壇というものが、庶民に普及してきたのは、浄土真宗が最初だそうですが、真宗のご門徒は昔から、お内仏(お仏壇)の前に座り、朝夕のお参りを生活の基本としてきました。そこには、諸仏となった先祖との思い出や言葉を振り返りながら、自分自身の日々の生活を反省し、今後の目指すべき方向性を確かめていくという意味が込められているのだろうと思います。


きょうもまた 光り輝くみ仏の お顔おがみて うれしなつかし

【稲垣 瑞剱】


 上記の『法語』は、真宗門徒の朝夕のお参りの中で感じられた気持ちを、率直に表現した言葉ではないかと思います。特に「み仏のお顔をおがみて うれしなつかし」という言葉には、先祖も含めいろいろな支えのおかげでもって、今日もまた無事に過ごすことができた。その感謝とよろこび、そして亡き人との思い出へのなつかしさが表現されている言葉だと思います。

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~