2021.12.05 05:23日常を「有り難い」と感じる生活の幸福感 感謝を表す表現として普段よく使う言葉に「ありがとう」という言葉があります。この言葉を漢字に表すと「有難う」となります。この言葉の語源を調べますと、「有り難し」という言葉で、本来ならば「まず起こり得ない非常にまれなこと」という意味だそうです。実はこの言葉は、仏教に由来する言葉で、おシャカ様とお弟子(アナン)との次のようなやりとりがエピソードとして伝えられています。 ある時、おシャカ様が弟子(アナン)に、「あなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」とたずねられました。「大変喜んでおります」とアナンが答えると、おシャカ様は、次のようなたとえ話しをしてくださいました。「大海の底に、目の見えない亀がいる。その亀が、百年に一度、海面に顔を出す。広い海には一本の丸太が浮いている。丸太の真ん中には小さな穴がある。その丸太は風の吹くまにまに漂っている。」「アナンよ。百年に一度、浮かび上がるこの目の見えない亀が、浮かび上がった際に、丸太の穴に頭を入れることがあると思うか?」と問われたアナンは驚いて、「おシャカさま、そんなことはとても考えられません」と答えると、「絶対にないと言い切れるか」とおシャカさまが念を押される。「長い年月の間には、頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」とアナンが答えると、「私たちが人間に生まれることは、この目の見えない亀が、丸太の穴に首を入れることよりも、難しく、有り難いことなんだ」と教えられました。このエピソードにおいて、人間として生まれる事は、”とても難しく、有り難い“ことであるとおシャカ様は説かれます。振り返ってみると、私たちの日常は、明日の予定、一か月後の予定。先の予定の事はよく考えますが、今、現在ここに生活できている事をどれだけ”有り難い“こととして受け止めて生活しているのでしょうか? 先々の予定ばかり考え、今の現状に満足しない生活よりも、今ある事への感謝を感じながらの生活の方が、どれだけか充実し、幸せな人生なのかと思います。 今年一年を振り返ってみますと、コロナの流行により、時期の節目を感じる行事も少なく、時間だけが過ぎ去っていった印象をぬぐい切れません。そんな時だからこそ、年のしめくくりにあたり、自分が今ある事を見つめる直し、小さくても日常の「有り難さ」を見つける事が特に大切なのではないかと思います。皆福寺創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~フォロー2022.01.07 10:39なぜ、昔から、各家庭にはお仏壇がそなわり、大切にされてきたのか?2021.10.04 10:39不条理に思える出来事さえも、意味あるものとする仏教の視点0コメント1000 / 1000投稿
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