仏教用語に「涅槃(ネハン)」という言葉があります。
この「涅槃」とは、煩悩(欲望)が無くなり、仏教の最高のさとりに到達した境地を表す言葉です。この境地に到達するためには、一般的には、厳しい修行をとおして、煩悩(欲望)を断じ尽くした末に得られる境地とされてきました。
ところが、親鸞聖人は、
「涅槃の真因は、ただ信心をもってす」
と語り、この境地に到達する本当のかなめ(真因)になるのは、信心(シンジン)のみであると語られます。
このお言葉に触れて、思い起こされるのは、私達が普段から慣れ親しんでいる『正信偈』にある
「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」
(書下し文:よく一念喜愛の心を発すれは、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり)」
というお言葉です。このお言葉のこころは、煩悩を断じ尽くして得られるのが涅槃の境地であると思っていただが、そうではなく、煩悩を滅しきれない我が身への悲嘆(ヒタン/悲しみとなげき)の心とともに、そのような身である私を丸ごと受け止めていただける世界があったのだという喜びと驚きであります。
お念仏の教えに生きた先人の言葉に
『絶望に立って、はじめて一歩が出てくる』 (長川一雄)
『人生に絶望なし。いかなる人生にも絶望はない』 (中村久子)
という言葉があります。また、昭和を生きた仏教学者安田理深師は、
『人生が行き詰まるのではない。自分の思いが行き詰まるのだ』 (安田理深)
と語られました。
この苦悩多き人生、煩悩(欲望)の尽きることのない身をかかえて、その身から逃げるとなく、受け止めていける人生が、聞法(モンポウ/お念仏の教えを聞くこと)をとおして、開かれてくるのだと思います。
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