自分を支えてくれているはたらきを発見することが、生きる活力となる!

 「平成」から「令和」になり、早いもので一ヶ月が経ちました。五月の初めは、普段にもまして、天皇陛下が注目されました。そんな折、テレビを見ておりましたら、上皇后になられた美智子さまが、以前語られた次のような言葉が紹介されました。

「幸せな子」を育てるのではなく、

 どんな境遇におかれても

「幸せになれる子」を育てたい

 仏教用語の中に私達の生きている世界を表す言葉として「堪忍土/カンニンド」という言葉があります。生きていれば、思い通りにならない、堪え忍ばなければいけない状況は、幾多にもあります。このコラムを読んで頂いている皆様にも、自分の人生を振り返ると、思い当たる節が多々あるではないでしょうか?

 そんな人間の有り様において、『どんな境遇においても「幸せになれる子」』とは、自分を支えてくれている、様々なはたらきに気づいていくことではないでしょうか?

親鸞聖人の書かれた『尊号真像銘文(ソンゴウシンゾウメイモン)』という書物の中に次のようなお言葉があります。

『無碍の光明、信心の人をつねに照らしたもう』

【試訳】阿弥陀仏のはたらき(無碍の光明)は、いつでも・どこでも・誰にでも降り注がれているため、そのはたらきに目覚めた人(信心の人)は、常にその支えをもって生きていける。

 このお言葉にある「無碍の光明」とは、阿弥陀仏のはららきを表す言葉です。

 阿弥陀仏とは、どこか別の世界にいる存在ではなく、私は、「本当のこと(真実)の象徴である」と受け取っています。

 私達は、欲望(煩悩)があるがゆえに、様々な物事を自分の都合の良いようにしかとらえきれず、なかなか本当のこと(真実)をとらえきれません。そんな私達に対して、阿弥陀仏は、「本当のこと(真実)」に気付けよと、常にはたらきかけてくださっているのです。私達が、そのはたらきに目覚めることが、『どんな境遇においても「幸せになれる子」』を生み出していくのだと思います。

 仏法を聞くということは、自分自身の生活を振り返りながら、自分を支えてくれている様々なはらたきに目覚めていく、その智慧をいただくことだと思います。

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~