2019.04.28 13:31「仏法を聞く」~自分が認められている世界を発見しよう~ 私たちが、普段生活をしていて、寂しく感じる瞬間は、「自分が認められていない」と感じる時なのではないでしょうか? 昔から下の子が生まれると、上の子が「赤ちゃんがえり」をするということを聞きます。今まで、親の愛情を独占していた状況から、下の子が生まれたことをきっかけに、状況が一変し、自分への愛情を確かめるために、上の子が赤ちゃんみたいな行動を起こすことを昔から、よく「赤ちゃんがえり」と言います。この言葉が示すように、私達は、老いも若きも、誰しも、「ワタシを認めてほしい」という欲求を持っています。 親鸞聖人のお言葉に 『十方の如来は 衆生を一子のごとくに 憐念(レンネン)す』【意訳】どんな場所にも(十方)働きかける如来は、すべての生きとし生ける者(衆生)を、たった一人のわが子のように、あわれみ、念じてくださっている。というお言葉があります。これは、阿弥陀如来は、たた一人の子どものように、常に思いをかけてくださっているという意味の言葉です。この法語には、私達が何を仏法(仏教の教え)に聞くのかの答えが表されていると思います。 仏教では、私達人間の姿を、「凡夫(ボンブ)」と言い、平凡で愚かな者として考えます。なぜ、このようにとらえるかというと、人は誰しも「煩悩(ボンノウ)」と言われる、欲求を持っているからです。煩悩を持つがゆえに、物事を、ありのままにとらえきれず、自分の都合の良いようにとらえてしまう存在なゆえに「凡夫」と言うのです。 そんな私達に対して仏法は、ありのまま(本当のこと)を気づかせてくれます。先きに書いた「ワタシを認めてほしい」という感情で言えば、そのような感情を抱く、私達に対して、仏法は、自分を支えてくれているあらゆるものに目を向けさせ、「あなたは、認められているよ」ということに気づかせてくれるのです。 昨今、科学技術が発達し、以前にくらべ、便利で快適な生活が送れるようになりました。しかし、一方で、人と人とのつながりの希薄化が進み、自己確認をする場の欠如が指摘されています。そんな世の中だからこそ、以前にも増して、自己の存在意義を確認し、見つめる場が求められているのだと思います。皆福寺創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~フォロー2019.05.28 12:27自分を支えてくれているはたらきを発見することが、生きる活力となる!2019.04.27 14:00三河別院にて「こころの講演会」が開催されます!【6月1日(土)開催】0コメント1000 / 1000投稿
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