日々のむなしさを超えられる世界は、自分の足元に見いだせるのではないか?

貴方の感じられている 虚しさこそ 

 真実の世界への 強烈な憧れなのです  (米沢 英雄)

 上記の言葉は、若き青年が就職して三年が経ち、「最近、生活にむなしさを感じている」というお手紙に対して、米沢氏が返信された内容の言葉だそうです。

 就職してしばらくの間は、慣れない環境と仕事に気を張って取り組んでいたため、目の前のことをこなすことに一生懸命で、日々の生活を振り返ることなく過ごしてきたのでしょう。その状況から、仕事にも徐々に慣れ、自身の生活を見直す余裕が少し出てきた時期にふと、「このままでいいのだろうか?」と日常にむなしさを感じたということなのでしょう。

 この青年の気持ちに対して米沢氏は「真実の世界への強烈な憧れ」であると返答しています。はて?「真実の世界」とはどんな世界なのでしょうか?

 「真実」なるものとは、いつの時代であっても、どこの地域に行っても変わらない共通のことでなければ「真実」とは言えません。

 有名な仏教用語に「諸行無常(ショギョウムジョウ)」とあるように、私たちの生きている身の回りのものは、そのほとんどが変化しているものばかりです。同じ形や状態を保ったとしてもせいぜい百年も持てばいいとこです。なかには、何百年も維持され伝承されているものもありますが、それは、途中で修理や改善を繰り返しながら、現代に残っているのです。そのまま、何も手を加えずに何百年も残っているものはまずありません。

 そんな私たちの世界において、ずっと昔から変わらない事がらとは何か?思うに、「私たちもふくめ、生きとし生けるものは、イロイロなもの(はたらき)に支えられて生きている」ということではないかと思うのです。そのことは、何千年前の人々も、どこの地域に暮らしている人も変わりません。そして、その事実こそが「真実」と言うベき事柄ではないかと思うのです。

 今まで当たり前に思い、何も感じなかったが、常に私を支えてくれている「はたらき」に目が向けられた時(真実の一端に触れたとき)、自分が受けているかけがえのない支えと応援を感じ、それが、生きる活力となってくるのではないかと思うのです。

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~