便利で快適な「都市化」が進むことによって、見えてくる人間社会の闇

 以前、雑誌のインタビューで、解剖学者の養老孟司氏が、次のように語られていました。

  『「児童虐待社会」がどうして出現したかといえば、

それは「都市化」と深い関係があります。』


この言葉の中にある養老氏の言う「都市化」とは、

  『人間が頭の中で考えたことを外に出して街をつくるということ』


と説明されています。ようするに、コンクリートなど人工物で周りが囲まれている社会環境を「都市化」と言うんだと。そして、その「都市化」が進むことが、現代を象徴する「児童虐待」のような問題が起こることと深く関係していると主張されるのです。
 この養老氏の言う「都市化」という言葉と、仏教学者であった安田理深氏の

  『人間が 人間だけでやっていく 現代の問題は そこにある 』


 という表現は、共通する意味を感じます。特に、養老氏の言う「都市化」という表現と安田氏の言う「人間だけてやっていく」という表現には、同じことを言っているのではないかと思います。そして、どちらも、そのことが現代の問題と関係があると主張されるのです。

 養老氏はこのインタビューの最後に、この問題の解決策として、
   『もう少し素直に自然と向き合う、

〈中略〉ということだと思っています。』 


と語られ、私たち人間が、もっと自然の中に身を置くことをすすめています。この養老氏の提言は、研究が進み、科学技術が発達しても、人間の英知だけでより良い社会・未来を作っていくことは出来ないことを指摘していただいているのだと思います。

 確かに、今年の夏も猛暑でした。最近よく語られる気候変動の問題などをみても、もはや人間のだけでより良い社会・未来を作っていくことは出来ない。自然をふくめ、あらゆる”はたらき“に支えられて私たちの生活が成り立っていることを認め、実感していくことが、今の私たちにはとても大切なのでしょう。

 仏教では、昔からあらゆるものとのつながりを意味する「縁(エン)」ということを大切にしてきました。その「縁」ということをキーワードにしながら、長年にわたり人間の本当の幸せを探求してきた仏教の教えに、私たちは今こそ耳を傾けるべきではないではないかと強く思うのです。


皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~