「いただきます」「ごちそうさま」という言葉とお念仏との共通点

 「いただきます」「ごちそうさま」は、何気なく毎回食事をいただく時に口にする言葉です。あまりにも当たり前すぎてその意味を忘れてしまいそうになりますが、この言葉にこそ、人として生きることにおいて、とても大切な意味が込められていると思います。その意味とは、食材となった”いのち“をいただくことに対する申し訳けなさと、敬意の気持ちであり、また、食事を作ってくれた方への感謝の気持ちであります。多くの方がこの言葉の意味を聞くと、その内容に納得しますが、実際に食事の時にそのことを毎回かみしめながら食事をいただいているのかと問われると、自信が持てない方も多くみえるのではないかと思います。

 食事の時、何か別の事を考えながらいただくこともあるでしょうし、あるいは、誰かとの会話に夢中になりながら食事を取ることもあります。そのような時に、「いただきます」「ごちそうさま」に込められた大切な意味を意識しているかといえば、そんなことはなく、目先の事に夢中になってしまいます。

 身近にある「いただきます」「ごちそうさま」という言葉について考えてみても分かるように、私たち人間は、頭で理解していようとも、その事が必ずしも身にそなわっているとは限りません。そんな私たちだからこそ、大切な事を忘れてしまわないように、毎回、繰り返し、繰り返し常に「いただきます」「ごちそうさま」言うのでしょう。「いただきます」「ごちそうさま」という短い言葉に大切な意味をぎゅっと詰め込んでその言葉を口にすることで忘れないようにしたのでしょう。

 お念仏も申すということも同様のことかと思います。「南無阿弥陀仏」という六字の言葉に自分を支えてくれているさまざまな”はたらき“に対する感謝とその事に気づけずいた申し訳ない気持ちをぎゅっと詰め込んで、私たちが日々の生活において忘れないようにしたのでしょう。そのお念仏を申すたびに、人として大切な事を常に思い出す。その日々の繰り返しの実践が、”お念仏を申す生活“なのではないかと思います。

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~