「仏」とは? 名詞ではなく動詞である!

 世の中には、様々な仏さまがいます。浄土真宗のお寺では、阿弥陀仏。その他にも釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)、盧舎那仏(ルシャナブツ)等。これらの仏さまは、人間のようなお姿の仏像や絵像のため、固有の存在としてとらえがちです。

 しかし、下記の言葉(法語)において、示されるように、

  智慧(ちえ)・慈悲(じひ)のはたらき そのものが「仏(ぶつ)」なのです  

(坂東性純)

仏さまとは、固有名詞としてとらえるべきものではなく、「はたらきそのもの」の動詞であるととらえるべきものなのです。
 皆さんのご自宅にみえる絵像の阿弥陀さんには、正面からは見えませんが、掛軸の裏側には、「方便法身尊形(ホウベンホッシンノソウンギョウ)」との記載があります。これは、絵像として表されている阿弥陀さんの意味を表した言葉です。

 「方便」とは、ことわざに「うそも方便」という言葉があることから、あまり良い印象がない言葉かもしれませんが、語源を調べると、もともとは、インドの古い言葉に由来し、「目的に近づく」という意味の言葉だそうです。また、「法身」とは、仏教用語で、真理(正しい道理)を意味します。

 つまり、「方便法身尊形」を言い換えるならば、『(私たちが)真理【法身】に近づくために描かれた尊いお姿【尊形】』という言葉になります。

 「阿弥陀仏」と聞くと、どこかに実存する方(者)としてとらえられがちですが、実は、その本来の意味は、実存する方(者)としてとらえるのではなく、智慧と慈悲の”はたらき“そのものとして了解すべきものです。

 言い換えるならば、阿弥陀さんとは、私たちを、人間としての正しい生き方へと導くためにお姿として表現(出現)された存在であり、私たちが、その阿弥陀さんへお参りすることは、阿弥陀の導きにしたがって、自分自身の生きる方向性を明らかにしようとする行為なのです。

 それは、仏教が生まれて約2500年という長い間、「人間とは何か?」という問いに、真剣に向き合い、考えてきた人々の結晶が、「ほとけ」のお姿となって、現代を生きる私たちにまで伝えられてきた智慧と慈悲のはたらきそのものなのです。

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~