不測の事態におちいると見えてくる人間の本性

 ここ数ヶ月は、テレビや新聞などのメディアは、新型コロナウイルスの話題で一色の様相を呈(てい)しています。これらの報道を聞きながら、私たちは、不測の事態におちいると、人間の本性があらわになってくるなと感じさせられます。

 現代の日本は、以前にくらべ、長寿社会となり、年齢が九十歳以上の方も珍しくなく、人生百年時代とも言われます。そのため、テレビは新聞では、年金の問題や介護の課題がたびたび報道されます。

 そのような時代のなか、漠然と、「自分は何歳まで生きるのだろうか?」とか「いくつまで生きたら悔いなく人生を全うできるのだろうか」ということを思います。また、時には、「自分の事を自分で出来るうちはよいけれども、他人の世話になるようだったら、早くお迎えが来てほしいな」などと、自分勝手に「いのち」の長さを希望したりもしています。

 ただ、今回の新型コロナウイルスのような得体の分からないものが流行すると、平時に漠然と考えている「いのち」の内容など忘れ、「いのち」を守る事に奔走(ほんそう)いたします。お店からマスクなどの衛生用品が無くなるような事態はまさにその象徴でありましょう。

 このたびの、新型コロナウイルスの流行をとおして、私たち人間は、勝手なもので、平時においては、自分の都合のよいように身勝手な事を思い巡らせて生活しておりますが、いざ緊急時になると、人間本来の本性が顔をのぞかせ、表に現れてくるものだなと、つくづく感じさせられます。

 私たちは、煩悩(ぼんのう)という欲望を持っているがゆえに、様々な事柄を自分の都合の良いようにとらえ、なかなか“本当のもの”を見定めることが出来ません。また、自分の置かれた状況や、周りの変化によっても、考え方はコロコロと変わる存在であります。

 だからこそ、私たちは、仏法(ブッポウ)に耳を傾ける必要があるのでしょう。仏教は、お釈迦さまが誕生して以来、約二千五百年の歴史があります。その長い歴史は、どのような時代状況においても、後世に伝えていかなければいけない大切な事を伝承してきた歴史でもあります。

 その歴史の中に身を置き、仏法を手がかりとして、自分の生き方を見つめ直していくことこそが“本当のもの”を発見していく道(歩み)なのだろうと思います。

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~