2025.09.29 10:36教えを聞く事によって与えられる、思いがけない、新鮮な視点 部屋の中で、目の前に落ちているチリ(塵)をたまたま見つけた時、私たちはどう思うでしょうか?多くの方は、「ゴミだ!/ホコリだ!/いらないモノだ!」だと思って、ゴミ箱へ捨てるでしょう。そのチリを「ひかり輝いている」と表現した人がいます。『塵が塵のままに 照らされて ひかり輝いている』(西元 宗助) 役に立つわけでもなく、何ら価値のないチリを、「ひかり輝く」と表現することには同意できないというのが、多方の感想でしょう。その気持ちは、とてもよく理解できます。ただ、この言葉には、チリを何ら価値のないものと瞬時にとらえてしまう、私たちの根性を問題視しているという視点で味わってみると、また違う解釈が出来るのではないかと思います。 それは、部屋の中で、目の前に落ちているものをチリであると瞬時に判断してしまうほど、私たちの根性は、必要か?不必要か?の視点ですべてのものを判断してしまっているということです。この判断は、意識する、しないに関わらず、常に無意識のうちにそのように認識するクセが身についてしまっているということです。日本の有名な詩人、相田みつをさんの作品に 『そんかとくか 人間のものさし、うそかまことか 佛さまのものさし』という言葉があります。 また、親鸞聖人は、私ども人間の根性を「凡夫(ボンブ)」と表現されました。「凡夫」とは、「平凡で愚かな者」という意味です。愚かな者と言っても、学校の勉強が出来るとか出来ないという意味でありません。どうしても、どちらかに片寄った見方しか出来ない。バランスの取れた見方が出来ない存在を「凡夫」というのです。 私たちのとらえ方は片寄っていて、損得でしか見ていない存在なんだということを、チリという存在が気づかせてくれたという視点で見ると、たとえ価値のないチリでさえも、少しは意味あるものとしてとらえることができるのではなかろうか?それを西元氏は「ひかり輝いている」と表現しているのではないかと思います。 そして、その視点は、「照らされて」という言葉があるように、仏教の教えを聞くことによって私たちに与えられてくる、思いがけない、そして新鮮さを感じるな視点なんだと思います。皆福寺創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~フォロー2025.09.29 10:20松平組主催「合同報恩講」 開催のご案内【10月21日開催】0コメント1000 / 1000投稿
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