「仏さま」って、いったい何なのか? ‐お参りすることの意味‐
「仏さま」とはいったい何なのか?素朴に疑問を持つ方も多いでしょう。その答えを、おなじみの『正信偈』(ショウシンゲ)の冒頭の一節「帰命無量壽如来」が明確に教えてくれています。この言葉の「無量寿如来」とは、「仏さま」の別名で、仏さまの内容を表現しています。私はこの言葉の意味を以下のように受け取っています。
無量〈量ることのできないほど多くの〉寿〈いのち〉が
如来〈如(真実の世界)から私のところへ来ている〉
と。つまり、「仏さま」とは、自分自身を支え来てくれている、無数の”いのち“を象徴的に表現している言葉なのだと思います。
よくよく考えてみると私たちは、実に多くのさまざまな”いのち“に支えられて生きています。例えば、食事をするということを考えてみても、それは、動物や植物の”いのち“をいただいています。自分の住まいを考えても、木材という元は自然の木々の”いのち“に囲まれて生活しています。ひとつずつ数えればキリがないほど多くの”いのち“にお世話になって生活が成り立っております。数えればキリがないので、その”いのち“を象徴的表したものが「仏さま」ということなのでしょう。
このことは、私たちが普段、よく使っている漢字である「私」という漢字も教えてくれています。
「私」という漢字の左側の”のぎへん“について、横棒と左右のはらいを取り除くと、「仏」という漢字が現れます。【下の図を参照】
つまり、「私」の中に常に(いつも)仏さまがいることを、漢字自身が教えてくれているのです。
私を支えてくれている”いのち“を表す「仏さま」に手を合わせてお参りするという行為とは、日々の生活において、見過ごしている私に、いろいろな”いのち“支えられて生きている事実を教えてくれる大切な意味が込められているのだと思います。
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