日々の生活を振り返ることと、「考え続ける」ことの大切さを思う

 私たちは便利で快適な生活を追い求めて、一生懸命に暮らしています。

 しかし、2011年3月11日に発生した「東日本大震災」は、この考え方を根底から問い返される出来事ではなかったでしょうか?

 地震の影響により、福島第一原子力発電所で事故が起き、放射性物質が拡散しました。私たちの多くは、事故が起こるまで、「核の平和利用」という言葉を信頼し、放射性物質が「いのち」に与える影響を真剣考えることはなく、過ごしてきました。今までも、何度となく、原爆や核実験、原発事故などを耳にすることはありましたが、その悲惨さを、どこか他人事として受け止めてきたのではないでしょうか。

 事故から長い年月が過ぎた今、以下の法語に耳を傾けてみると、まさに、今の原子力発電の課題があてはまるように思います。

世の中が便利になって 一番困っているのが は人間なんです


 経済発展のため、便利で快適な生活のためには、原子力発電は必要であるが、発電によって生み出される“核のゴミ”を処理する方法は見つかっていません。まさに、世の中が便利になって、一番困っているのが、実は人間なんです。

 親鸞聖人は、私たちが生きている世界を「濁世」(ジョクセ/にごった世の中)と、表現されています。これは、客観的に世の中を見て、表現された言葉ではないと思います。人は、誰もが、より良い世の中を目指してがんばっています。しかし、このたびの原発事故が物語るように、人間のふるまいに絶対に正しいということはありません。そんな人間が生きている世の中だからこそ、「純粋」に対して「にごった世の中(濁世)」と表現されたと思うのです。

 「濁世(ジョクセ)」を生きる私たちだからこそ、日暮らしの中で、先を生きた人々の言葉に耳を傾けながら、今の生活を見つめ、振り返り、人として生きるあり方を考え続ける時間がとても大切だと思うのです。

皆福寺

創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~