2025.01.30 05:10自分の”価値観“が打ち砕かれることで、「苦」から解放される世界がある ”地獄“という言葉を聞くと、死後に出会うツラく、苦しみの世界のことを連想する方も多いと思います。そのイメージも間違いではありませんが、”地獄“とは必ずしも、死んでから出くわす世界ではありません。生きている今でも経験する世界です。人はみな、生きているとツラく悲しい経験を必ずします。そんな体験を”地獄“と表現することもあります。 現代は、昔にくらべて便利で快適な生活が送れるようになりました。ところが、私たちの生活では、”地獄“を感ずるような体験はいっこうになくなりません。ナゼなくならないのか?その理由を2023年に『輝け!お寺の掲示板大賞』において仏教伝道協会賞を受賞した次の法語が的確に指摘します。何が私を苦しめているのか? 自分が握りしめているその物差しです。 この法語で言う「物差し」とは、比喩の表現で、誰もが生きていれば自然と身につく価値観や考え方です。自分の身の回りの出来事が、自分の価値観や考え方のとおりに進めば苦しみを経験することはありません。ですから、人はみな、自分の思いどおりに事を運ぼうと努力します。しかし、現実には、自分の思いどおりにしようといくら努力しても、”想定外の出来事“が起こりうるものであり、「苦しみ」を経験するのです。 このことは、裏を返して言えば、「自分の価値観や考え方」が強固になればなるほど、苦しみも増えるということではないでしょうか?私たち人間の持つ考え方に完璧などということはなく、どれだけ努力してもいつかは、どこかで想定外の出来事を目の当たりにし、苦しみ経験するのです。 ならば、苦しみの元である「価値観や考え方」が打ち砕かれることを想定し、逆に楽しむぐらいの心持ちによって、苦しみから解放されていくという道もあるのではないか! 価値観や考え方を強固にし、完璧を求めて打ち砕かれることを避けようとするのでなく、逆に打ち砕かれることを想定し、楽しむ発想を教えがある。その教えの中心にあるのが「南無阿弥陀仏」という念仏なのだと思います。皆福寺創建800年 皆福寺 それは、 先人の記憶・思い・願いをとどめる場所 そして、その場所は、 今を生きる私たちの活力を得る場となる ~月に一度は、お寺で心の洗濯を!~フォロー2025.01.30 04:55「三河別院報恩講」団体参拝のご案内【3月6日開催】0コメント1000 / 1000投稿
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